さて、東日本大震災の時に独立を決心してから、実際に会社に退職希望を告げるまで、3年を要したと書きました。その間は、「会社から去る」という行為への準備をしてきました。
なぜ3年を要したか?というと、会社を辞める体制が整っていなかったからです。
じつは、家内の出産を控えていたからなのです。家内が身重の状況で、会社を辞める選択をするほど私は無謀な性格ではありませんでした。このような状態でしたので、家内には会社を辞めるということは、何も話さずにおりました。出産に影響しないように配慮したのです。
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「言うのはいつでもできる。でも、言うのは今じゃないな。」そう、思っていたのです。
子供が生まれてもすぐには会社は辞められません。いや、辞めてもいいのですが、育児の大変なときに仕事を辞めてしまうと様々なところに悪影響が出てしまいます。それまではじっとしており、子供が物心つくように育ってから、「ここぞ」というタイミングを見計らっていたのです。
やはり、家族がいる場合、自分の都合だけで会社を辞めるような人生最大の決断をすることは、避けたほうが良いと思います。会社を辞めると今までの生活を大きく変える必要が出てきます。そうなると家族の負担もそれだけ増えてしまいます。だから、様子を見計らうというのが、その時点での最大の戦略でした。
しかし、そういう戦略を考えたものの、不安はあります。転勤という問題です。私の会社では、転勤があります。国内であればまだ良いのですが、海外転勤もあるのです。
もし海外転勤ということになれば、会社を辞める時期はもっと先になるでしょう。だから、会社ではいかに海外の話を持ちださないかに、力を入れておりました。また、私生活でもなるべく海外の話題が出たらさけるようにしていました。テレビも海外の話題が出た時はチャンネルを変えていました。
海外のことに触れていると、海外を引き寄せてしまう感じがしていたのです。とにかく、海外に結びつくものは、意識的にシャットアウトしておりました。
また、年齢的にも管理職コースを歩むかどうするか、という瀬戸際でした。目の前には課長昇格試験を控えておりました。管理職になれば、さらに会社を辞めづらくなります。