今まで20年近く勤めてきた会社を退職して思うことがあります。
それは、今までのツケを払うために、会社を退職したんじゃないか、ということです。
なんかね。
40代過ぎて、家族もいるのに、成功するあてのない、ただの思いつきのビジネスに賭けるために会社を退職したんです。
なぜ?
答えは、そうするしかなかったから。
もうね。
自分の生きる道は、会社を辞めるしか無い!ってところまで追い詰められたんです。ジワジワとね。
40代になって、同期や後輩がどんどん偉くなっていく中、自分だけが取り残されている。本当は、自分の中でやりたいことがたくさんあるのに、それが一つもできずにモヤモヤしてる。仕事も嫌だ、上司も嫌い。会社にいることがだんだん苦痛になってくる。会社で過ごす時間がすごく無駄に思えてくる。
その会社で自分なりに生きる道というのは、もう残されていないような気がしていたんです。
ジワジワと崖っぷちまで追い詰められていって、それで逃げる道はなくて、「起業する!」と言って崖からジャンプしてしまった、という感じです。
で、ジャンプして、起業も失敗して、今は再起のためになんとかしようと奮闘してる毎日を送っているわけなんです。
でもこれって自業自得なのかもしれない、とも思うわけです。
いままでの自分の考え方とか、楽をしようとする甘い気持ちのツケが回ってきただけなのかなあ、とも思ってしまいます。
「5年で辞めよう」舐めていた自分
私は、大学出て新卒で会社入りました。
当時は就職氷河期の最初の頃でした。
なかなか入りたい企業に就職するのが難しかった時代です。
就職浪人したくなかったから、最初に内定出た会社に決めたんです。
決め手は、リクルーターの人の「この会社、楽だよ」の一言。
深く考えなかった。楽ならいっかみたいな感じです。それに早く就職決めて、残りの大学生活を満喫したかったと言うもあります。
そこそこ知名度もあったので、親にも説明しやすかったし、周りの人も納得してくれやすかったです。
でも肝心のその会社が扱っている商品は、まったく理解できなかったし、興味も持てませんでした。
だから会社なんて5年で辞めて、その間に転職して好きな仕事を見つけようとか思ってました。本当はやりたい仕事は他にあったんです。
今から思えば、ここが一番の安易なポイントでした。
本当にこの会社で良いのか、自分がやるべき仕事をなんなのかをもっと考えるべきでした。あるいは、せっかく入社したのだから、置かれた場所で咲こうと覚悟を決めるべきだったんです。
でも5年で辞めようとか、軽く考えてました。舐めていたんです。
このときにきちんと考えなかったツケが、何十年か後に自分を苦しめる事になったのです。
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20年後に支払うツケ
5年で辞めることを密かに考えてて、上辺だけはがんばってる感じで毎日過ごしてました。
会社入って2年はそれでもけっこうやっていけたんです。
でも3年目になってくると、後輩はできるし、仕事面でも責任ある立場を任されることが多くなってきました。
20代後半になり、30代が見えてくると、周りはどんどん結婚していきます。
自分も当然、そういう感じに巻き込まれていきます。
そこで改めて人生を考えようとはするんだけど、深く考えること無く結局周りに流されてまい、結婚して子供もできます。家も買ったりしてローンなどの出費も増えてきます。
いつの間にか5年で辞める話なんてどこかに消え去ってしまい、目の前の仕事だけをこなす毎日。生活費も増え、支えるものもできたので、軽々しく辞められない状況に。
でもときどき、本当にやりたいことは他にある、今の自分は嘘っぱち、早く会社を辞めたいと思うことはあります。そういうことを思い出すと、じゃあなんで結婚したんだ?と自分を責めるようにもなってきます。
30代後半になると、同期でも管理職になる人が増えて、後輩も自分を飛び越えて出世していきます。
自分も出世しなくてはというプレッシャーもあるんですけど、管理職になれば拘束がきつくなり、転勤も拒否できないので、どうして嫌です。管理職試験受けてもわざと落ちるように仕向けたりしたこともありました。
40代に入ると、年齢からもう逃げ場がなくなってきます。取るべき選択肢は決まっていて、会社からはどれを選ぶのかという無言のプレッシャーがやってきます。
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40代で突きつけられた選択肢
選択肢は3つです。
ひとつめは、管理職コースから外れ、定年まで肩書なしの低賃金コース。毎日定時で気軽に帰れるけど、やりがいはゼロです。
ふたつめは、管理職になるコース。会社としては、当然このコースを歩んで欲しいと考えています。でも管理職になったら、もう逃げられません。会社を辞めることはかなり難しくなります。
3つめは、転職か起業かで退職するコース。会社を逃げるコースです。
これら3つのうち、どれかひとつを選ばないといけなくなったのです。というか、選ばざるを得ない年代になってしまったということです。
肩書なしのそのままのコースは自分では嫌でした。とうてい受け入れられないんです。やっぱり仕事には、やりがいを持ちたいんです。やるからには、本気で取り組みたいと思うんです。
管理職になるか、退職するか
じゃあ、残りの選択肢は2つだけ。管理職になるか退職するしか無いです。
でもその当時は管理職になるのは自分の中で許せませんでした。
その時は、なぜか会社を憎むようになっていたんです。なぜ憎んでいたのかはよくわからないんですけど、多分、自分が会社が嫌だという気持ちを会社のせいにしていて、それで憎むようになっていたと思うんです。
そんな憎い会社の管理職なんて絶対になりたくなりと思いました。定年まであと20年以上もそんな会社で過ごしたくないと思いました。
だから、残された選択肢は一つだけ。退職することだったんです。
転職活動は失敗しましたから、起業するしかなかったんです。
起業ネタはありました。30代のころから副業という形で始めていたんです。でもパッととしなかったんです。もしその副業がうまくいけば、躊躇なく会社を辞められていたんでしょうけど、あいにくサッパリ駄目だったので、辞めるに辞められない状況ではありました。
その副業は自分でも気に入っていて、当時はライフワークとか天職ぐらいに考えていました。
この仕事を一生の仕事にしたいと思っていたんです。今から思えば、これも甘かったんですけど。起業して1年で廃業しましたから。
それで当時は、このパッとしない副業を正業にするため、退職を決めたんです。というか、退職するにはここをステップにするしかなかったんです。
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40代で振り出しに戻った
思えば、20代の入社時に5年で辞めようと甘く考えていて、でもなかなか辞められず、甘えだけが残って、このツケを総決算したのが約20年後の40代。
そして、実はこの副業というのは、就職のときに本当にやりたかった業界なんです。だから、回り回って20年経って、結局自分のやりたい仕事とういうか業界にやってきたというわけです。
就職のときにきちんと考えて行動しておけば、20年も浪費することはなかったと言えます。
もちろん、その会社でも学だもの、得たものもたくさん有りました。
でも、あのときもう少し考えることができれば、40代でツケを払って振り出しに戻ることもなかったんです。
ツケは払うべきか?
あのときジャンプして、ツケを全部払っておいて良かったと思うんです。
たしかにお金の面では苦労してます。自分で稼いだお金なんて、全部生活の固定費で消えていきますからね。さらにコロナの影響で収入もかなり減りましたから。
でもそれでも、ツケを払ってよかったと考えています。
もしあのときジャンプせずに、いまも会社にとどまっていたら、どうなっていたでしょう。ちょっとゾッとします。
遠く年の離れた上司の後輩に、「使えないジジイ」とか言われてたかもしれません。それでもなんとか定年まで後どのくらい?を数えることだけ、退職金の運用だけを生きがいにしてたかもしれません。
そんな人生、絶対嫌でしたから。なんか病気して定年前に死んじゃったら、自分の人生何だったろう?ってことになりかねない。
それでも給料貰えるからいいじゃないの、という意見もあることは百も承知。
誇りに思える自分はどっち?
もし80歳まで生きられるとして、80歳になったときに、あのときジャンプしていた自分とジャンプしなかった自分、どっちが自分の中で誇らしく思えるかといえば、やっぱりジャンプした自分なんですよね。
というか、あのとき、ツケを思い切って精算できた自分が一番誇らしいと思えるはず。
退職して成功しているわけではないですけど、もし今自分が死ぬことになっても大きな病気を患ってしまっても、少なくても自分の意思で退職できた、ということだけは誇りに思えることができます。
それだけでも、悔いはない人生だった、と思えるはず。少なくとも、ジャンプできなかった自分と比べれば、の話ですが。
