退職の覚悟って何なんでしょうね。
「覚悟を決める」とかよく言いますけど、実際よくわからないです。
まあそれでも退職する時に覚悟を決めたのかと聞かれると、やっぱりそれなりの覚悟があったのは事実です。
でも、その覚悟をどうやって決めたのかというと、答えようがないのです。いろいろな要素が絡まりあって、その結果として退職することを決めたからです。
無理やり覚悟を決めたわけではなく、自然な流れの中で徐々に覚悟が決まって行った、と言う方が真実に近いかもしれません。
その自然な流れに乗る最初のきっかけになったのは、もっと力を抜いてもいいんじゃないかなと思ったときでした。
自分の人生を考える時
不思議なんですけど、ある時ふとしたはずみで、自分の人生について考えることがあります。
よくあるでしょ? 日曜日の夕方の電車で、人生とか哲学しちゃうとき。
錆びついた直感センサーも時々感度が良くなる
考えると行っても顔をしかめてじっくり考えるのではなく、なんとなく軽くふわっとしたような感じ。思いつくというか「感じる」というイメージに近いですね。
そういう時にふと感じたことって意外と本心に近いことを考えているものです。いわゆる直感というやつです。
長いこと会社に浸っていると、直感を感じるセンサーが鈍くなっているのですが、リラックスしているときなどは、ある時ふっと自分の直感に近づける時がやってきます。
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どこからともなく違和感が湧いてくる
会社ではできる限りのことをやっているし、努力もしています。20年近く勤め、会社からもそれなりの評価も貰っています。昇進はそんなに早い方では無いですが、給料も日本人の平均からすれば満足できる額です。
このまま定年まで過ごせば、なんの不自由もなく生活できます。お金に困ることもないでしょう。
でも、どこからともなく違和感が湧いてきます。何かが違うのです。
今の会社で定年をむかえている自分が想像できないのです。今の会社で定年まで頑張れる自分が想像できないのです。
自分がこういう風に生きていきたいという人生のコースがいつまにかズレているように感じてきました。
これ以上会社が求める人物像に合わせるのは無理
これまでの会社員人生は、会社が求める人生像に無理やり合わせていました。
それはそれで良いのですが、私の場合は、まず自分のやりたいことがあって、そのやりたいことを達成するために会社を選びたかったのです。
今の会社では、それは到底無理でした。自分のやりたいことと会社の事業内容がまったく違うからです。
これ以上会社の求める人物像に、自分が無理やり合わせるのは無理だと思いました。
そう考えると、そんなに今の会社で頑張らなくても、もしかしたら良いのではないか、と思ってしまうのです。
人間的に嫌いな上司に指示されて、気持ちを擦り切らせることもないのではないか。
会社の順位を下げる
これからは、自分のやりたいように生きてみても良いのではないか。もう少し自分のやりたいことに素直に従って良いのではないか。
こういう風に思ったのが最初のきっかけでした。
この時感じたことを妻に話すと、意外にも同意してくれ、「今まで頑張りすぎじゃないの?」と言ってくれたりもしました。
と言っても仕事をサボるとかそういう意味ではなく、会社が求めてくる理想に無理やり従わなくても良いと感じた、ということです。
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退職の覚悟
今までは、自分の中では会社が最重要でした。でも、これからは会社の順位をもう少し下にして、自分の気持ちを会社よりも上に持ってくるようにしたのです。
これが良い意味で、気持ちの切り換えにもなりました。会社について少し切り離して考えるきっかけにもなり、自分のやりたいことに気持ちを向かわせることができるようになりました。
退職の覚悟って、こんなことがきっかけとなって、自然と固まっていくもののようです。
歯を食いしばって覚悟を決めなくても、もっと力を抜いてリラックスして、自分の直感で感じたことからでも、退職の覚悟はできてしまうみたいです。
悩んでいる時は大変辛いですが、フッと力を抜いた時にでも、直感という風が吹いてくるかもしれません。案外そういうところから、悩みは解決していくようです。