私が「我に返った」日は、2011年3月7日。
その4日後。
2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。
私はその時、会社におりました。
猛烈な揺れがビル全体を駆け巡ります。ガタガタガタ・・・・・・、なかなか揺れが収まりません。これでもか、これでもか、と攻め立てるように揺さぶられます。
事務所内の誰かが、「机に潜れ!」と言い出し、私も机の下に潜り込みました。机の下で地震の恐怖を感じながら、「この地震で死んだとしたら、私の人生は悔いの残るものになるだろう。やっぱり独立したい。いつまでも会社にはいられない。どんなことになってもいいから独立したい!」と考えていました。
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20年間夢を見てきたようなものでしたが、本当の意味で直接独立のきっかけとなったのは、2011年3月11日の東日本大震災でした。
もし、この大地震に遭遇していなければ、実際に会社を辞めていたかどうか疑問です。数日前に「我に返り」ましたが、「死」をすぐ目の前につきつけられた震災がなければどうなっていたかわかりません。
この日を境に、私は具体的に会社を辞める準備に取り掛かりました。
しかし、気長な性格なのか、慎重すぎるのかわかりませんが、実際に会社に退職の意思を告げるには、そこから3年を要したのです。
商売の準備をしていたわけではありません。私自身の内面との葛藤、社内の仕事状況、家族の理解、両親の理解など、まず「会社から去る」という行為への準備をしたのです。さらに私の場合は、社宅住まいでしたので、引っ越しという大きな壁を越える必要があったのです。
思い立ったら翌日には辞表をだしていた、なんていうカッコイイ話をよく聞きますが、家族持ちでいろいろしがらみの多い普通のサラリーマンにはそんなことはできません。
もし、すべてにおいて円満退職を真剣にお考えであれば、我々40代会社員としては、徳川家康のように、じっくり足場を固めて外堀を埋めていくように行動するのが肝要かと考えます。
辞表を出すのは簡単です。辞意を表明しさえすれば、後はエレスレーターのように何も考えなくても自動的にあっさり退職日を迎えられます。
でも、その後で「辞めなきゃ良かった」と後悔しても始まりません。辞表を出すときは、考えぬいた結果として出す、というぐらいでちょうど良いのです。
多少時間をかけても、ゆっくりと自分と対峙して結論を出す。もし、会社員として残るという結論になったとしても、ゆっくりと自分と対峙した時間は、これからの長い人生の中で貴重な時間になるでしょう。
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